⛳ 「ス〜ちゃん」とはどういう人だろう🤔

ス〜ちゃんのGolf アカデミーへようこそ。

 

「ス〜ちゃん」こと須崎秀明です。

 

 

今回は初めての投稿になりますので、まずは自己紹介をさせていただこうと思います。


小さい頃はイギリスに住んでいまして現地校に通っていました。小学校2年生の3学期の前に帰国しました。1974年(昭和49年)のことです。3学期がはじまって国語の時間に『きかんしゃ やえもん』を教わっていましたね。その頃、家族で秋葉原に行きましたが、街にはキャンディーズの♫春一番♫が流れていました♪

 

小学校は品川区立の小学校を卒業し、私立桐蔭学園の中学・高校へと進みました。その最中の1981年にゴルフ⛳をはじめました。

 

「ゴルフ⛳」という言葉、ゲーム自体に出会ったのはさらに前の中学生時代に教室の机の穴をカップ🚩に見立て、消しゴムのカスを丸めたものをボールに見立て、指で弾いて打数を競うゲームを友人としたときでした。

 

消しゴムゲームではない本当のゴルフを始めることになったのは、父からある日「秀明、ゴルフやらないか?」と誘われたのがきっかけです。今思っても🤔とても不思議なことなのですが、父は家の中で厳しい人・怖い人だったので、父が帰宅すると私は足早に自室にこもるような親子関係だったのですが、その時は即答で「やる」と言っていました。

 

父が私をゴルフに誘ったのは商社マンであった父自身が入社後にお付き合いや接待でのゴルフで非常に苦労したので、「花嫁修業」ならぬ「サラリーマンになるための『お稽古ごと』」としてゴルフを習わせたのだと私は理解しています。

 

私の練習スタイルは週に一度のペースで練習場のアシスタントプロに個人レッスンでゴルフを教わり、5カゴほど練習するというものでした。

 

ゴルフの女神に誘われるがままにゴルフ⛳の魅力に引き込まれた私はもともとが研究気質な上に、帰宅部だったことも手伝って一日のほとんどをゴルフに費やすような生活に変わっていきました。

 

はじめて1年もしない内に父が買ってきたGOLF誌『CHOICE』にゴルフの初級者/中級者/上級者別の道具の揃え方の特集がありまして、

 

「ああ、道具っていろいろなメーカーを組み合わせていいんだ👍 たとえばフェアウェイウッドだけをやさしいモデルにするのもアリなんだ〜。バンカー用のサンドウェッジとアプローチ用のサンドウェッジがあって、〇〇モデルはバンカー用にいいんだなぁ〜」

 

などとウキウキでは表せないほどのウキウキさでトイレに持ち込んでまで見ていました。

 

買ってきた父とそれを出版したゴルフダイジェスト社も罪深いですヨ。その後、私はゴルフクラブに千万単位のお金を支出することになるわけですから・・・😅 いや、父とゴルフダイジェスト社は大いに経済効果に貢献したと言えるのかな🤔 

 

しかし、私の立場からの現実は結果的に手にしたのは「名門ゴルフコースの会員権」ではなく、「道具の知識」ということになりました😅 ですから私のゴルフクラブの知識の価値は「1千万円以上」ということになりますね・・・本当??


さて、稽古事として息子にゴルフを勧めた父も、思いもよらなかった私の入れ込み様に受験期に差し掛かってきていたことも加わって私がゴルフの話題を出したり、ゴルフの中継を観ていると不機嫌になりはじめて

 

「秀明、勉強しろ❗」

 

と叱ることも起きてきました。

 

その頃の私の逸話があります。

 

私はスウィングや道具を徹底的に研究していたので、録画したビデオ(※)をスロー再生しては巻き戻したり、スローのまま戻したりとそのような機器の負担になることを頻繁にしていたので期間をそれほど置かずに3台のビデオデッキを壊してしまい、母から

 

「秀明、もういい加減にして!!」

 

と苦情を言われました😅

 

※ 当時はVHSやベータマックスのビデオでした。

 


今、思い起こしてみますとまったく知り合いでない人にはじめてゴルフを教えることになったのは私が高校生だったその頃のことです。父が「息子がゴルフを研究している」とでも言ったのでしょうか? 父の部下からスウィングの分析依頼が来まして父とその方と一緒にラウンド🏌をしまして、その後、分析結果をお伝えしました。


私は1989年(平成元年)に安田信託銀行(現みずほ信託銀行)に入社(※)し、岡山支店、津田沼支店(千葉)を経てマーケット営業部では外国為替のディーラーとして働き、ニューヨークに赴任し、帰国後に転職、2004年にうつ病でその銀行を退職するまで約15年銀行員として生きました。

 

※ 誤植ではありません。信託銀行は会社なので「入行」ではなく、「入社」なのです。


世間から私のことを見た場合に「絶頂」と見えたであろうニューヨーク赴任時代も私は幸せではなかったんですね。ニューヨークでの生活はゴルフ⛳もたくさん出来て楽しかったのですが、仕事の面で幸せではなかったのです。「自分のやりたいことではなく、お金のために、生活費のために働いている」という気持ちがあったんですね。

 

私は行った先の職場で「須崎はゴルフが出来る」というので上司や先輩からラウンドに誘われて、そこで教えることが多かったんです。今でも印象に残っていますが、その中の一人の先輩から

 

「須崎は銀行員よりもゴルフを教える方が合ってるんじゃないの」

 

と言われたことがありました。

 

そのようなこともあり、ゴルフを教えて人が喜ぶ姿を見て、いつのまにか本心は「ゴルフを教えることを仕事にしたい」と思うようになっていました。

 

しかし、既に妻も二人の子どもたちもいて銀行のサラリーも上がって来ていて安定しはじめた最中でしたから、銀行を辞める踏ん切りを付けられるわけがありません。また、今の時代のようにインターネットが発達していなかったので情報検索もままならなかったので「ゴルフのインストラクター」になるにはどうすればよいのか検討もつかない状況でした。

 

そうしたわけで致し方なく、銀行員生活を続ける選択しかありませんでした。

 

ちょうど、その頃、私のゴルフレッスンにとても大切な出逢いがありました。1999年、ニューヨーク赴任時代のことです。

 

それは何かと言いますと

 

「『精神』や『心』の学び」

 

との出逢いです。それまで私は完全物質主義者で「見えるものしかあるはずがない」という視点で生きていました。

 

それが、銀行の仕事でお客様と銀行の板挟みになり・・・お勤めの皆さんもそのようなご経験があろうかと思います・・・それがそれまでのノウハウではまったく乗り越えることが出来ずに途方に暮れた私は「積読(つんどく)」で購入しておいたさまざまなジャンルの本の中に「その答えの『キーワード』があるのではないか」と思いまして、それらの本を読み始めたのです。

 

「キーワード」はほどなくして現れました。こういうことは不思議ですね。

 

「アッ💡 コレだな❗」

 

ということがはっきりわかるのですから・・・。そこには「もしかしてコレかな🤔」とか「コレだと思うけれど本当かな🤔」というアヤフヤさや迷いがありません。

その「キーワード」が


「心の力」


だったのです。

 

それが「キーワード」ということはわかりましたが、さて、完全物質主義者の私は「心」と言ってもどのように学んで、それを実生活、仕事に活かせばいいのか検討もつきません。

 

「心を学ぶって『心理学』を学ぶってこと? 『精神医学』を学ぶってこと? 『心』ってあるけど、いったい何?」

 

という有様でした。最終的に私は「キーワード」があった本の中にあった合気道から心について学びはじめることにしました。その時から今に至るまで私は宗教団体等の団体・組織には属さずに独学で学んで来ています。合気道を学ぶ際にも道場に入門して武道を学ぶのではなく、本から合気道での「心の力」について学びました。

 

本日現在もその方面の学びについては続いています。23年目に入りました。その学びから得たものにつきましてはメンタルが大事なゴルフにもとても関係するので、記事の中でお話していきたいと思っています。


さて、銀行員生活はうつ病で終止符を打ったわけですが、そのうつ病は6年以上続きました。その回復期に私は料理🍴を中心とした家事を担う主夫になりました。主婦がパートに出るように「ゴルフインストラクター」のバイトに応募し、予想外にも採用していただくことが出来て「ゴルフインストラクター」の道に入りました。2009年の頃ですので今年でゴルフインストラクター業13年目になります。

 

ふと気がついてみればニューヨークでの本心の想いが10年経って叶っていたということになります。

 

2012年からマイケル長谷川こと長谷川哲也主催の(株) DEPARTURE GOLFに籍を置いていまして、今はセントラルウェルネスクラブ柏店(※)のゴルフスクールの担当として働いています。

 

スウィング研究をはじめとしましたゴルフ研究40年以上、ゴルフインストラクター業13年のこうした私の私ならではの情報発信をお楽しみにどうぞ!

 

※ 体験レッスンのお申し込みはセントラルウェルネスクラブ柏(千葉)からお願い致します。 TEL:04-7142-0180(代表)                 


                         <ホールアウト🚩>